東京地方裁判所 平成9年(ワ)3995号 判決 1997年10月28日
本訴原告・反訴被告
甲野太郎
(以下「原告甲野」という。)
本訴原告・反訴被告
乙山二郎
(以下「原告乙山」という。)
本訴原告・反訴被告
丙川三郎
(以下「原告丙川」という。)
右原告ら訴訟代理人弁護士
中元信武
本訴被告・反訴原告
関根英治
(以下「被告」という。)
右訴訟代理人弁護士
瀬野俊之
主文
一 原告甲野と被告との間の昭和五七年一二月一九日から平成七年一月一五日までの間の各消費貸借契約に基づく、原告北沢の被告に対する一三一六万円一四一〇円の債務の存在しないことを確認する。
二 原告乙山と被告と間の平成二年四月一八日から同六年一一月三〇日までの間の各消費貸借契約に基づく一一三四万九七一〇円の債務の存在しないことを確認する。
三 原告丙川と被告との間の平成五年五月三一日から同七年二月一〇日までの間の各消費貸借契約に基づく一一八万五七九〇円の債務の存在しないことを確認する。
四 被告の反訴請求を棄却する。
五 訴訟費用は、本訴・反訴を通じ被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 本訴請求
主文一ないし三と同旨。
二 反訴請求
1 原告甲野は、被告に対し、一三一六万一四一〇円を支払え。
2 原告乙山は、被告に対し、一一三四万九七一〇円を支払え。
3 原告丙川は、被告に対し、一一八万五七九〇円を支払え。
第二 事案の概要
本訴請求は、被告の経営するホストクラブに勤務していた原告らが、在職中の売掛金の未収分を被告らに対する貸付金とする特約の無効を前提として、貸付金の不存在の確認を求めた事案であり、反訴請求は、被告が原告らに対して右特約の有効を前提として、売掛金の未収分を貸付金として請求した事案である。
一 争いのない事実等(証拠により認定した事実は、その末尾に証拠を掲げた。その余は当事者間に争いがない。)
1 被告は、東京都新宿区歌舞伎町二丁目<番地略>△△ビルにおいて「夜の帝王」の屋号でホストクラブ(以下「夜の帝王」あるいは単に「店」という。)を経営していた。
2 原告らは、被告との間で「夜の帝王」においてホストとして稼働する旨の契約(以下「本件契約」という。)を締結し、原告甲野は昭和五七年一二月から平成六年一二月三一日まで、原告乙山は平成二年三月から同六年一二月三一日まで、原告丙川は平成四年一月から同七年一月まで、それぞれ「夜の帝王」においてホストとして稼働していた(原告甲野及び同丙川の稼働開始時期につき乙七の1、八の1)。
3 被告と原告らとの間の本件契約には、次のような定め(以下「本件特約」という。)があった。
(一) 飲食料金を掛売り(いわゆる「ツケ」)とした場合には、客より接客指名を受けた者の責任において締切日の月末までに被告に右代金を入金する。
(二) 売掛金が月末までに入金されない場合には、被告がホストに支払うべき給料と相殺する。
(三) 売掛金が未回収のために給料が赤字になったホストは、売掛金を入金するまでは、飲食代金を掛売りとすることを禁止する。
4(一) 原告甲野は、昭和五七年一二月一九日、被告から一五〇万円を、毎月末日限り一〇万円ずつ返済する約束で借り受けたのを皮切りに、別紙「貸付金入金一覧」1(以下「別紙1」という。)中の貸付金欄あるいは売上金額欄記載のとおり貸付けを受け(品名欄の「貸付金」は貸付け、「貸金」あるいは「前貸」は給料の前貸し、右以外の貸付金欄あるいは売上金額欄記載の金額は掛売りの未収金を指す。以下同じ。)、入金額欄あるいは受入金額欄記載のとおり給料からの差引きの形で返済をした(乙四、弁論の全趣旨)。右貸付金の合計額は三三七万六六九〇円、貸金及び前貸の合計額は三七九万五〇〇〇円である。
(二) 原告乙山は、平成二年四月一八日、被告から一〇万円を、翌月の給料支払時に返済する約束で前借りしたのを皮切りに、別紙「貸付金入金一覧」2(以下「別紙2」という。)中の売上金額欄記載のとおり貸付けを受け、受入金額欄記載のとおり給料からの差引きの形で返済をした(乙五、七の2、弁論の全趣旨。なお、原告乙山は右認定に反する供述をするが、右各証拠に照らして採用できない)。右貸金の合計額は四五万円であり、貸付金はない。
(三) 原告丙川は、被告との間で、別紙「貸付金入金一覧」3(以下「別紙3」という。)中の貸付金額欄あるいは売上金額欄記載のとおり貸付けを受け、受入金額欄記載のとおり給料からの差引きの形で返済をした(乙三の1ないし3、弁論の全趣旨)。右貸金の合計額は一二九万円であり、貸付金はない。
5 前記4のとおり、掛売りの未収分を貸付金として含めた場合は、原告らは被告に対する債務を完済しているとはいえない。
二 争点
1 本件特約が公序良俗に反するか否か。
(一) 原告らの主張
原告らは、被告に従属して被告の顧客を接客する労務を提供する関係であるにもかかわらず、被告はその優越的な地位を利用して一方的に顧客の飲食代金の未収金を原告らに貸し付けたことにして、原告らが右金員を支払わなければ給与債権と相殺することにしているのであり、本件特約は、原告らに過酷な負担を強いることになるから、公序良俗に反して無効である。
(二) 被告の主張
ホストクラブの顧客は、ホストに氏名及び連絡先を明らかにすることはあっても、経営者である被告との関係では氏名等を明らかにせず通称で接客するのが常識となっており、被告は、ホストの体面を保つ趣旨で顧客に直接飲食代金を請求することはない。そして、掛売りを認めるか否かはホストの全面的な裁量によるものであり、被告の許可は必要ない。以上のような経営システムを前提とすると、本件特約はホストクラブの性質上公序良俗に反するとはいえない。
2 弁済の有無
(原告らの主張)
掛売りの未収分を貸付金とした分を除く貸付金及び貸金についてはいずれも弁済した。
第三 争点に対する判断
一 前提となる事実
前記認定の事実、証拠(甲二、乙一ないし一〇<いずれも枝番のものを含む。>、原告乙山、被告)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 「夜の帝王」は、ホストが五〇名ないし七〇名位、営業時間は午後一一時から午前五時三〇分までであり、店の所在地が新宿区歌舞伎町であることもあって、客は水商売の女性がほとんどであった。
2(一) 客は、来店するとホストを指名するが、指名された者を「指名者」と呼び、指名者は接客に際して、他のホストを応援に呼ぶことができ、これを「ヘルプ」と呼んでいる。指名者が客に請求する代金の内訳は、テーブルチャージ料、指名料、ヘルプ料、酒代、料理代及びサービス料である。
(二) 代金の計算は店が行い、指名者は店が計算した金額のメモを客に見せて代金の支払を求める。指名者は、客から代金を受領すると一旦全額を店に入金し、月ごとに店から各ホストに給料として支払う。
(三) 店がホストに支払う金額の内訳は、売上げに応じて支払われる保証金、指名料、ヘルプ料及び店則に定められた各賞金がある。ホストは、指名料及びヘルプ料については客が支払ったと同額の金員の支払を受けることになっていたが、そのためには掛売り分については回収して店に入金することが条件となっており、回収できなかった場合は、指名料及びヘルプ料を含めて給料から控除されていた。
他方、店の取り分は、テーブルチャージ料、酒代、料理代及びサービス料の合計額からホストに支払う保証金額他の人件費、家賃及び水道光熱費等の経費を控除した金額である。
3 店則(乙九)について
(一) 保証金、指名料及び賞金は、ホストの売上額(掛売り分を除く。)に応じて計算されることになっており、賞金としては他に皆勤賞などがあった(六条、七条、別表)。
(二) 罰則が定められており、ホストは、出勤日及びミーティングの欠勤、遅刻、無断外出、早退並びにタイムカードの押し忘れ等については罰金を徴収されるし、年二回のパーティの際にはパーティ券販売のノルマを課され、売れなければ罰金として売れ残った分の代金を支払わされることになっていた(八条)。
(三) ホストは、退店届けが受理された場合、貸付金は即日返済することになっており、遅滞した場合は当日から月七歩の遅延損害金を付加して支払うこととされていた(四条)。
4 代金を掛売りにするか否かは第一次的にはホストの判断に任せられるが、店則(五条)では、掛売り分が未回収のため給料が赤字となった者は掛売りとすることが禁止されていた。しかし、原告らの場合は、給料が赤字となった後も掛売りを放置されており、被告は、未回収額が高額となった者については、掛売りを禁じることがあったが、原告らの分については被告自ら回収の努力をすることなく、原告らの給料から控除することによって回収しており、店則どおりの運用はしていなかった。
5(一) 客は、代金を直接店のレジで支払う場合や、キャッシュカードで支払うこともあったが、ほとんどの場合は直接ホストに対して支払っており、ホストは、月末までに回収した代金を店に入金すれば良く、店則上は回収した代金の流用は禁じられていたが、実際は月末まで自由に運用することが可能であった。
(二) 被告は、原告らは代金を回収したが店に入金しなかった旨供述しており、かなりの回数来店し掛売り分が未収になっている特定の客がいること、原告乙山は以前勤めていたホストクラブでは掛売りの未回収分がなかったこと等の事実が認められるが、原告乙山は掛売りの回収分を店に入金せずに費消したことを否定し、被告から給料の支給がないときはアルバイトをして生活していた旨供述をしていることに照らして、前記被告の供述を採用することはできない。
6(一) 原告らの掛売りの未回収分は前記第二の一4認定のとおりであり、被告は、掛売り分が未回収となった場合、被告の実損害分のみならず、指名料及びヘルプ料の含まれた総売上金額を原告らの給料から控除しているため、控除額が過大となり、原告甲野については昭和六二年二月から、原告乙山については平成二年一一月から、原告丙川については平成四年六月からそれぞれ給料がマイナスとなった。
(二) 原告甲野は給料明細を渡されない時期があったものの、他の原告は毎月交付されていたし、原告らは掛売りの未回収分については毎月売掛金等明細帳簿を被告から交付されており、未回収分を把握することができた。
7(一) 原告乙山は、給料をもらえない期間が続いたため、平成六年五月ころ、被告に対して退店したい旨申し出たが、被告に対する借金が八〇〇万円以上に上っていたため、同年六月「夜の帝王」の社長荒井義行に説得されて勤務を続けることになった。しかし、原告乙山は、結局給料をもらうことができなかったため、同年一二月三一日に退店した。
(二) 被告に対する借金が増大したため「夜の帝王」を退店したホストは、原告乙山のほかにも四〇名から五〇名程度いた。
二 争点1について
前記認定の事実によれば、被告と原告らの関係は、被告を雇用者、原告らを被傭者とする従属的な雇用関係にあるというべきであり、顧客に対する売掛代金は、店(被告)の顧客に対する債権と解される。そして、本件特約は、経営者の優越的地位を利用して経営者が本来負担すべき掛売りによって生じる回収不能の危険を回避し、自ら顧客から取り立てるべき飲食代金を自己の被傭者であるホストに支払わせてこれを容易に回収しようとするものであり、ホストの負担する債務は無制限となること(店則上は給料が赤字となった場合は掛売りを禁じていたが、被告は原告らが掛売りを行うのを放置していた。)、掛売りするか否かの一次的判断はホストが行うが、売上額に応じてホストが取得する保証金額、指名料及び賞金等の給料が定められており、掛売りをしなければ給料が上がらないので顧客からの掛売りの申し出をむやみに断れないこと、ホストが掛売りとすることを決めるとその額はホストの意思とは余り関係なく顧客の意思によって決定されること、指名客の信用性、将来の支払能力等の判断は困難であり、これをホストの危険において行わせることは酷であること、ホストは、店を辞めようとする際には売掛未収金を支払わなければならず、支払ができない場合は勤務を続けるか高額の遅延損害金の支払を要求され、事実上退職の自由が制限されることが認められる。以上に照らすと、本件特約は、その目的がもっぱら被告の便宜を図ることのみにあり、その効果も被告が一方的に有利である反面、原告らに過酷な負担を強いるものであり、被告の優越的な地位を利用して結ばれたものと認められるから、公序良俗に反し無効と解さざるを得ない。
被告は、ホストクラブの顧客は、ホストに氏名及び連絡先を明らかにすることはあっても、経営者である被告との関係では氏名等を明らかにせず通称で接客するのが常識となっており、店はホストの体面を保つ趣旨で顧客に直接飲食代金を請求することはないと主張するが、掛売り分の回収が困難になった場合にまで、ホストの体面を保つ必要はなく、被告はホストから顧客の氏名及び連絡先等を明らかにさせ、回収活動をすればよいのであるから、被告の右主張は、何ら回収の努力をすることなく、回収不能の危険を一方的にホストに転嫁する本件特約を正当化する理由とならない。したがって、被告の右主張は採用することができない。
三 争点2について
前記認定(第二の一4)の事実及び証拠(乙三の1ないし3、四、五)によれば、前記判示のとおり掛売り分を貸付けとした分は公序良俗に反して無効であるから、この分を除いて原告らそれぞれの支払分を貸付金及び貸金に充当すると、これらは既に完済になっていることが認められる。
四 以上によれば、原告らの本訴請求は理由があり、被告の反訴請求は理由がない。
(裁判官脇博人)
別紙<省略>